山崎地区の紹介
歴史
小川と舟川に囲まれた丘陵地から平地に位置する。川と森林が近いことから、食料や木材が調達しやすい居住地だったと考えられ、山崎地内の数か所で縄文中期の遺構が発掘されている。
地名の由来は定かでないが、大同年間(806年〜810年)に水野源内が移住し開拓したのを草分けとし、船見山の崎にある村であることから山崎と称したと伝えられている。
文和2年(1353年)の古文書に山崎村の地名が残っており、また吉祥院は養老7年(723年)に創建されたと伝わっている。
明治22年(1889年)の町村制施行に伴い、元山崎(羽入、辻岩崎、越、坊、小在池、花房)と新村(殿村、山王、細野、山崎新)が合併し山崎村が発足した。
小学校は明治6年(1873年)に吉祥院を借用して創立された。
風景
朝日岳 標高2418メートル
広がる田園風景
祭り
山崎吉祥院が寛永初年(1624年)に再建されて以来伝わる行事で、7年毎に10月に秘仏の御開扉に併せて行われ、現在まで引き継がれています。
今は、辻岩崎町内と花房・小在池町内から酒樽、俵に詰められた米や野菜を収納した長持を三人一組で担ぎ、露払いのおどけたしぐさの願念坊主を先頭に行列が組まれます。
音頭取りの唄に合わせて三歩進み二歩下がる独特な練り歩きで、道中の見物客に酒を振る舞いながら吉祥院まで進みます。
食文化
山仕事の炭焼き等で山籠もりする男たちが食していたもので、杉板の棒を小判型のご飯に刺して焦がし、表面にゴマ味噌を塗った香ばしい食べ物です。
みそかんぱは、五箇山や飛騨地方の五平餅や秋田のきりたんぽとの共通点も多く、山仕事をする男たちの間を山から山へ伝わっていったとする説もあります。